第1回 読書会 「はじめてのジェンダー論」

2020/3/12
第1回 読書会
「はじめてのジェンダー論」 加藤秀一著
はじめに〜3章
参加人数:4人



はじめに、「ジェンダー」の定義が述べられています。
→→→→→→
『私たちは、さまざまな実践を通して、
人間を女か男か
(または、そのどちらでもないか)に
〈分類〉している。
ジェンダーとは、そうした
〈分類〉する実践を支える
社会的なルール(規範)のことである。』
わかったようなわからないような、、、

ここの理解には、時間がかかりました。


いろいろなジェンダー現象に触れる中で、

中の人は、特にトイレについての記述での

「生理的に嫌」

というレトリックへの見解が興味深いと思いました。

よく聞く表現ですが、

実際に生理的に嫌なわけではなく

自分の受けてきた社会的、文化的な影響に無自覚だったり

言語化できなかったりするときに使われていることが多いということは、

覚えておきたいものです。



2章では、インターセックス(性分化疾患あるいはDSD)を例に出しつつ

性別の連続性を示し、

現実の社会が、性別二元制(人間の性別は2つしかない)を基に

作られている事との不一致を確認しました。


特に印象的だったのは、

アイデンティティと社会、権力との関係についてです。
アイデンティティは尊重されるべきものですが、

その中には、個人と社会の対立関係や権力関係が刻まれ、

抑圧や暴力の足場になりうると述べられています。

自分たちのアイデンティティと社会との関係を見直すきっかけになりました。


第3章では、トランスジェンダーについて語りました。
「体の性」と「心の性」という言い回しはよく聞きますが、

この表現が〈性自認〉と〈女/男らしさ〉の混同を招いているのではないか、

と筆者は述べています。

しかし参加者には、「心の性」という言葉から

「女っぽさ」「男っぽさ」を表すような

イメージを持つ人はいませんでした。

この齟齬は、筆者と学生の、世代の違いなのではないか?

ということで落ち着きました。


また、MtFのタレントは多くいるのに対し、

FtMのタレントは少ない。

MtFはお笑いの文脈に置かれることが多く、

FtMはシリアスに描かれがちである。

ということの不思議が提示されていたので、考えてみました。

本書では、性差別社会の中で女性から男性になることは昇格、

反対は転落を意味する為にこのような差が生まれるのでは無いかと述べています。

対してメンバーからは、

男子の中には、「男の体は汚い。」

という感覚を持つ人がいるらしいという

他の本の記述を引き合いに出し、

「きたない」体から、「きれいな」存在になろうとすることに

面白さを見出しているのではないかという意見もありました。



初めての読書会、たくさん学んで楽しかった!


(C.N)

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